和食を伝え継ぐとはどういうことか
この春、農文協が発行した木村信夫著『和食を伝え継ぐとはどういうことか―地域がそだてた食のしくみと技に学ぶ』に、熊倉功夫さん(国立民族学博物館名誉教授)からこんな推薦文をいただいた。
「この国と子どもたちの未来にむけたメッセージが本書の“和食の世界”にたくさんつまっている」
熊倉さんは、和食のユネスコ世界無形文化遺産登録にむけた検討会の会長として、そして登録後は、和食文化の継承のために組織された(一社)和食文化国民会議(略称:和食会議)の会長として活躍されている。
推薦文にある「本書の“和食の世界”」とは、昭和59年(1984年)の『岩手の食事』に始まり10年かけて完結した『日本の食生活全集』(全50巻)の世界のこと。全国各地域のおばあちゃんから大正・昭和初期の食生活を聞き書きして誕生したこの『食生活全集』は大変多くの方々に愛され、日本の食研究の一級の資料としても高い評価を得てきた。この『食生活全集』の編集に農文協の職員として携わり、その後、食育推進の活動に尽力してきた著者の木村さんが、『食生活全集』が描いた「地域がそだてた食のしくみと技」の伝承こそ「和食を伝え継ぐ」ことではないかとの思いを込めて本書はできあがった。これに共鳴してくれた熊倉さんも、「和食」の遺産登録決定直後の記者会見で、申請の背景について「和食が失われていくという危機感があった」と述べ、「家庭で和食を食べるということは、自らが接する自然環境で生まれた食材を知ることでもある」と話している(「毎日新聞」平成25年12月5日)。
本書を読んだ「中日新聞」編集局社会部の久間木聡さんから木村さんに連載記事の執筆依頼があり、そこにはこう記されていた。
「このたびの『和食を伝え継ぐとはどういうことか』を読ませていただき、まず、はっとしたのは『地域がそだてた食のしくみと技に学ぶ』という副題でした。この国の季節感と、それぞれの土地の風土や慣習などを尊重することで生み出されてきたさまざまな『味』というものの豊穣さ。本書にもあるように『和食』とは決して『和風料理』などではなく、各地の人々の『食事』『食卓』が基礎であることに、大いに知的好奇心を動かされました」
うれしい反響である。うれしいといえば、この『食生活全集』が現代の若者にも読み継がれていること。「農村にはこんなにも豊かな『食』が行事とともに存在していたことが、まるで物語のように描かれていて感動した」――ある20代青年の感想である。木村さんを本書の執筆に向かわせたのも、若い人たちが『食生活全集』の話に大変強い興味を示したことであった。食の背後には地域の自然と農業があり、家族のためにと算段する主婦の仕事があり、家族の絆があり、人々の助け合いがある――そんなありようが若者たちにとっては新鮮で魅力的なのである。
「残るべくして残った」家庭料理を次代に
和食の遺産登録にむけた「提案書」の「過去及び現行の保護の取組」の項では、多くの地域コミュニティや集団の活動、「食育」や都市と農村の文化交流の取り組みを挙げ、そして「地域の伝統食の保存に取り組んでいるグループは、全国350地域に住む5000人の年長者からの聞き書きで編纂した、『日本の食生活全集』(最大級の食文化のデータベース)を出版している」と特筆している。
地域が生みだした国民的文化財『食生活全集』。この完結から24年たった今年の11月、農文協では『食生活全集』の実践版・実用的再現版ともいうべき、『伝え継ぐ日本の家庭料理』(以下『家庭料理』)の発行を開始する(「うかたま別冊」として全16冊発行)。
『食生活全集』は各都道府県に編集委員会を組織し、そのもとに生活改良普及員など地域の方々が結集して古老への聞き書きが進められた。今回の『家庭料理』のまとめ役は(一社)日本調理科学会に所属する全国約360名の研究者の方々。
学会では2011年度から「次世代に伝え継ぐ 日本の家庭料理」という特別研究に取り組んできた。地域に残されている特徴ある家庭料理を聞き書き調査し、その背景とともに記録する。そんな活動のなかで、伝え継ぐには実際につくり味わうことが大事だ、みんなが再現できるよう本にしたい、そんな思いがつのり、こうして企画がスタートした。
企画の背景にあったのは、地域調査してみると伝統的な家庭料理がたくさん残っているという発見と、しかしそれが親から子へ伝承されにくい状況にあり、つくり方を含め再現できる形として残さなければ、その知恵や技が失われてしまうのではないかという危機感であった。
「今、やっておかなければならないことがある。今、やっておかなければ、永久に失われてしまうことがある。日本人がつくり上げた食事。それは、今、記録しておかねば、永久に失われてしまう」というのは、かつての『食生活全集』の刊行の辞であった。
確かに、戦後から高度経済成長を経て、食生活は洋風化し、輸入食料・購入食品も増え、地域の食のしくみは大きく変わった。しかし今回、『家庭料理』の企画に当たって学会の先生方とともに確認したのは、それでも多くの伝統的な「家庭料理」(郷土食)が残っていることであった。学会の先生たちが聞き取ってきた話の中には、見たことも聞いたこともない料理や、もうとっくになくなっていると思われていたような料理も多くあった。たとえば――
岐阜県白川郷では、「ほんこさま」といって、今でも毎年、親鸞聖人の命日11月27日前後になると各家で僧侶や親戚を招き、お経をあげた後に仏様と共食するための料理が出される。招待客は20~30人、かつては各家で行なわれていたが、料理の準備に手間も時間もかかるため、最近は仕出しなどをとる家がほとんど。そんななか、今でも毎年「ほんこさま料理」をつくり続けている家が白川郷萩村にあることが調査のなかでわかった。これはぜひ掲載したいと、ほんこさまの日にお邪魔して料理を撮影させていただいた。
準備は1週間ほど前から始まる。家で保存していた山菜や野菜を使って何をどう料理するか、その家の主婦である川渕佐栄子さんが献立を立てる。そして、春に塩蔵しておいたタケノコやワラビの塩抜きをする。山からとっておいたクルミを割り、畑でとれたエゴマをする……。作業的には準備は1週間前からだが、食材の準備は春から始まっている。1年かけて用意したとびきりの素材をふんだんに使い、お客さんにふるまうのだ。お膳にのっている料理は昔のままではない。「皿盛り」はもともと7品の料理をのせるものだったが、佐栄子さんは「素材を見ていると、せっかくあるんだから、使ってあげないとかわいそうやし、それで献立をたてたらどんどん増えちゃった」とその日は19種の料理がのっていた。形は残しているが、料理は変化している。家庭料理とはそういうものだろう。
残ってきた伝統的な家庭料理には、残ってきたわけがある。むらの行事や寄り合いを楽しく続けたい、身近にある素材を大事にしたい、家やむらが引き継いできた味とそれを感じる味覚を孫に伝えたい。そんな関係性のなかで「残るべくして残った」のだと思う。だからこそ次代に伝え継ぎたい。残ってきたという事実を大切にし、その背景にある関係性に思いをはせる。食が本来的にもっている自然や農業、人をつなぐ力を引き継ぐ。「残るべくして残った」家庭料理にはそんな未来への希望や願いが託されている。
国民的な文化財として残したい
都道府県別編集の『食生活全集』に対し、本書では全国的な視野で、統一的な視点をもって伝え継ぐ家庭料理を網羅する。各都道府県からたくさんの料理の候補が挙がっているが、一つ一つの料理のつくり方をその「残ってきた」背景とともに丁寧に紹介するために、本でとり上げる料理を厳選する。それでも全16冊で約1300品にのぼる見込みだ。
地元の素材を活用した普段の料理から、手間をかけてつくるハレの日のご馳走、味噌などの発酵食品や保存食などその地の伝統的な味を体現するものまで、現に残っており、そして残したい料理を選択することになるが、素材一つとってもいろいろ議論になる。
たとえばドジョウ。昔は田んぼや用水路などからとってきたが、今では難しい。しかし、「ドジョウがとれる小川を復活させる契機にしたい」という願いを込めて、その地に残るドジョウ料理を取り上げることになる。あるいはクジラ。購入するものだが、かつては家庭料理の重要な素材であり、地元の素材との組み合わせ方も面白く、北から南まで、さまざまな鯨料理が並ぶ予定だ。
こうして選ばれた料理を現地で実際につくってもらい聞き書きし、カメラマンが現場の雰囲気を大事にしながら撮影し、調理の専門家である学会の先生方がレシピ化していく。
巻構成は、料理別、素材別、行事別に以下のとおり。
炊き込みご飯・混ぜご飯・おにぎり/どんぶり・雑炊・おこわ/すし/そば・うどん・粉もの/汁もの/魚のおかず(1)(2)/肉・豆腐・麩のおかず/野菜のおかず(1)(2)/いも・豆・海藻のおかず/米のおやつともち/小麦・雑穀・豆・いものおやつ/漬物・佃煮・なめ味噌/年取りと正月の料理/四季の行事食
まずは料理別の巻。共通的な調理法が各地の風土・素材と出会い、多様なすしやもち料理や漬物が生まれた。その多様性を描くことで、各地の風土・素材の多様性が浮かび上がってくるだろう。
第1回目の配本は「すし」の巻、北から南まで約80品が並ぶ。すしと一口にいっても、ちらしずし、巻きずし、押しずし、葉を使うすし、と形態もさまざま。すし飯の代わりにおからを使ったすしもある。形も大きさも具も器も、切り方や盛り付け方も違う。「所変われば品変わる」、一覧するのも、似たものどうしを比較するのも楽しい。
さらに、押しずしに分類されたすしも、のせる具や切り分ける大きさなど見た目だけでもいろいろ。そして実際に食べてみないとわからないのが、ご飯の詰まり加減、かたさだ。押しずしは押すことによって、ご飯粒の間の空気が追い出され、腐敗しにくくなる。また、押せば押すだけ一切れのご飯の量が多くなるから、しっかり押した押しずしはひとつ食べるだけで、かなりお腹が膨れる。すしを押すという行為には、腐敗の防止、具の固定、切りやすさ、運びやすさなどの意味があるが、同時にハレの日のごちそうとして、お米をたくさん食べてもらいたいという願いも込められている。
そして素材別の巻。全国各地の多彩な素材と、各素材の保存も含めた活用法を紹介する。調理は本来、生きた素材に触れることで知らず知らずに農耕を含めて自然を感じる行為であった。それが人間もまた自然の一部であり自然に生かされているのだという感覚を育み、人びとの共同性、コミュニティの源泉にもなってきた。加工・調製品や「切り身」など自然を感じにくい食材があふれているなかで、調理を通して自然を感じる楽しさを伝え継ぎたい。むらにはそんな楽しい「共食」の場がたくさんあった。
というわけで行事別巻である。正月や年中行事では、この日にむけて準備してきた素材や調理の知恵がみごとに結集する。家族や村の安寧への願いを込めた「共食」の世界を未来にむけて伝承したい。
『食生活全集』と同様、国民的な文化財として残したいと思う。
再現のためのレシピ化を魅力的に
『食生活全集』と違う本書の価値は、実際につくれるようにレシピ化すること。『食生活全集』を読んで料理を再現するのはなかなか難しい。そこに『家庭料理』のねらいがある。しかしこのレシピ化、そう簡単なことではない。
地域の人に実際につくってもらい、撮影をし、聞き取りする。しかし、それをそのまま書き綴るだけでは、歴史的資料としての価値はあっても、料理を再現するにはわかりにくく、実用性には不十分だ。『家庭料理』は素材を素直に生かすタイプの料理が主流で、料理人のような技巧を駆使しているわけではないが、素材の生かし方には伝承されてきた段取りやコツがある。実際につくるなら、同じではなくても、その料理がもつ個性的な味わいが感じられるものをつくってほしい。そんな気持ちで先生方はレシピ化に汗を流している。こんな悩みも出てくる。
すしの巻には、香川県からは4種類のすしが掲載される予定で、中讃地方の宇多津の「ばらずし」は、小エビ、干し椎茸、油揚げ、里芋、にんじん、ごぼうなどを具にして、焼き穴子や金糸卵を飾る豪華なおすし。秋祭りや子どもの誕生日などのハレの日によく作られたものだ。撮影にあたり、レシピをうかがったところ、いつもつくる分量の最小単位は米2升からだという。今回、つくってくださった山地シゲ子さんは、自宅に2升分のすし飯を混ぜられる飯台を持っており、いつもその単位でつくっている。宇多津では大勢の人が集まるときに欠かせないのだ。
このすしの特徴は、すし飯がとにかく甘いこと。宇多津は高松藩に属し、藩がつくって送る砂糖が必ず宇多津港を通っていったので、豊富に砂糖があった。一方、宇多津は昭和30年代までは塩田が広がっており、塩づくりは体を使う仕事だったので甘いものを欲した、というのが甘さの理由だという。今どきの台所で2升のすしをつくることは難しい。またすし飯は、今の基準からすると甘すぎるかもしれない。でも、その材料の分量や味に、その土地ならではの歴史的背景が表れている。
つくれるレシピにするのが本書のねらいだが、食べやすい、つくりやすい分量にして伝えるという考え方もあれば、たくさんつくる理由、味が濃い理由を伝えるために昔のままの味付け、分量でという考え方もある。栄養学的に見れば、今の日本人の体には、それでは砂糖も塩も量が多すぎるだろう。だから薄味にするという考え方もあれば、味つけはそのままで食べる量を減らすという考え方もある。
どういう形のレシピを残すのか。伝統的なつくり方もわかりつつ、今に合うレシピを紹介するという方法もある。そんなことを調理の専門家として一つ一つの料理について吟味していく。編集の工夫のしどころであり、醍醐味でもある。これも『伝え継ぐ日本の家庭料理』の魅力になっていくにちがいない。
「食」とコミュニティをともに豊かに
伝統的な「家庭料理」(郷土食)が新しい力を得て蘇る、そんな流れを大きくしたいと思う。『家庭料理』のレシピ化も新しい力にしてほしい。直売所、農村レストラン、農村都市交流などでは、郷土食が魅力になっている。直売所農法や転作で地域の伝統的な食材を掘り起こし、料理とともに復活する、そんな動きもあちこちで生まれている。子どもの貧困化のなかで「子ども食堂」がたくさん生まれているが、コミュニティの場として「農村食堂」も盛んにしたい。
「食」がコミュニティを元気にし、コミュニティが「食」を豊かにする。そんな関係性のなかで焼畑まで復活してしまったという話を最後に紹介したい。
青森県南部の島守村(現・八戸市南郷区島守地区)では廃校を利用した「山の楽校」をつくり、ここで地元のお母さんたちがソバ打ちや豆腐づくりなどを披露し、地域の人々の技を伝え合う場となっている。この場所ができたおかげで、お年寄りに話を聞く機会も増え、ダイズやソバをつくっていた焼畑のことを知り、これは面白いということで焼畑を復活させた。現在は70aの焼畑で育てたソバで十割そばを打つ。次は、焼畑でダイズを育て昔ながらの玉味噌を復活させようというプロジェクトに取り組んでいる。玉味噌からつくった「すまし」という調味料をかけた「すましそば」を、この土地ならではの料理として提供しようというのだ。
焼畑、玉味噌、すましの一連のつながりを、体験のメニューとしながら、多くの人に伝えていきたいと島守地区の皆さんは張り切っている。
(農文協論説委員会)
『現代農業』2017年7月号より